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心の声に従って生きるアラフォーのなんでも本音日記

インシャ・アッラー 神の御心のままに

どうも、しまれいこです。

 

祖父の祥月命日だったので、近親者が集まって、お寺にお参りに行ってきました。

 

私も弟もシフト制の仕事をしているのですが、休み希望を出していないのに、たまたま休みになっていて、参加することができました。

 

みんなが集まることができた、というよりも、「集められた」=「集まることができるように采配した人(存在)がいた」と思っています。

 

じいちゃんが、みんなを集めた、と。

 

こういう、「なんだか知らないけれど、たまたま休みだった」とか「本当は仕事だったのに、なぜかシフト変更をすることになって、集まりに顔を出すことができた」というのは、結構あります。

 

なので、こういうことがあると、「自分の意思以外の力ってあるよなー」と思うのです。

 

こじつけともいえるし、ただの偶然といえばそれまでですが、私は信じています。

 

すべては神の采配 = 神の御心のままに

 

だと。

 

 「神の御心のままに」は、イスラム教では、「インシャ・アッラー」と言います。イスラム教の絶対神、アラーをたたえる言葉です。(出典:インシャラーとは - コトバンク

 

「インシャ・アッラー」の使い方は、

これは未来のこと(数時間後でも5年先でも)を話す時に使います。
人生で起こるすべては神様の意思で決まるため、未来に起こる(だろう)こと、
あるいは未来でやることへのはっきりとした断定を避けるために使われているようです。

使い方としてはこのような感じです。
”明日、学校の後にあなたのおうちに寄りますね、インシャアッラー。”
または質問への答えとして、
Aさん: ”この仕事を来週までに終わらせられますか?”
Bさん: ”インシャアッラー”

出典:アラビア語いろは インシャアッラー

 

「神がお望みになるなら、そうする(そうなる)ね」というように、使うんですね。

 

今回の集まりも、「神」(というか、じいちゃん)が望んだから、集まることができたんだね、とみんなで言っていました。

 

ただし、この「インシャ・アッラー」という言葉は、引用させていただいたサイトにも説明があるように、言い訳にも使われるそう。

何かをしなくてはならないのに、
やらないときの言い訳として使われることがあるんです。

 

だから、使い方に気をつけないと注意というか、多用はできないとは思います。

 

ただ、何かあった時、うれしいことも悲しいことも、すべて「インシャ・アッラー=神の御心のままに」だと思うと、喜びには感謝ができるし、悲しみやつらさは軽減されるかもしれません。

 

この世界をまわしている大きなものは、私たちを良い方へ向けてくれるに決まっています。

 

結局最終的には、「インシャ・アッラー=神の御心のままに」だよな、と、祖父の命日の集まりから、思った次第でした。

 

今日もいい一日でありますように☆彡

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